洋楽和訳日記

どこにでもいる、ふつーの人のブログ

文章を紡ぐということ

今日は和訳ではなく、思うことをつらつらと。

(誤訳のない歌詞和訳を作る、ということは推敲が必要で時間がかかるのと私にとってはエネルギーが必要なので。。。)

1:文章を書くということ

文系理系問わず、明瞭な文章を書く、ということはとても大変です。

長くなると読んでもらえないし、かといって短くすると伝えたいことを十分に伝えられない。言葉足らずになってもいけないし冗長になってもいけない。

読み手がどんな人なのかも考慮して書く必要がある。

自分に十分な語彙力があれば、良いのかもしれないのですが、平凡な私にはそんなものがあるわけもなく。

文章を書くというのは、本当にエネルギーがいることです。

社会人になってから、本を読む時に、内容もそうですが「どういう文章を紡いでいるのか」に着目して本を読むことも増えました。

その中で、私が「こういう文章が好きだな」と思うのが夏目漱石の文章です。

夏目作品をすべて読んだわけではないので、語れる身分でもないですが、私は特に草枕が好きです。

なんというか、漱石の書く文章は、自然描写がすごい綺麗。

そしておそらく、漱石は春と月がとても好きなのだっただろうなと何個か作品を読んで思う。

「月が綺麗ですね」がI love youの意味であるのは有名ですが、漱石の文章には春もよく出てきます(美しいものの例として)。

だから、春の夜空に浮かぶ月なんて、きっと至高の極みでしょう。

春は春であるだけで人を幸せにする。月は優しい光で人を照らし、穏やかな気分をもたらす。最高のコンビです。

漱石は英文学者でしたが、漢学の素養もあり、短歌も好きだったそうで、かの正岡子規もその才能を認めていたほどだそう。(「先生と僕」という漫画より。)

合計17音(5、7、5)に感情を込める短歌が得意だったせいか、漱石の文章は、ぎゅっとエッセンスがつまっていて、なんというか無駄のない文章な気がする。(・・・何様だお前、というつっこみはしないでください。。。)

漱石の文章は、本当に綺麗。

 

2:韓国ドラマとK-pop

おこもり需要でちゃっかりNetflixに入ってからというもの、韓ドラにはまった私。(それまで韓ドラなんて全く見たことも興味もなかったのに。)

韓国のドラマは、恋愛ものを除くと哲学的なものが多い気がする。

私は「トッケビ」、「君の声が聞こえる」、「サムガプ屋台」、「マイディアミスター」を見たのだが、響く台詞がすごい多かった。。。

ちょうどBTSの勢いもあって、これを機にK-popも聞くようになったのだが、聞いて衝撃を受けた曲が以下の3つ。

・I need you (BTS)

・Answer (Ateez)

・Run away (TXT)

Jpopにはないメロディというのだろうか。。。出だしを聞いただけでぐっと引き込まれた。

特に最近はAnswerがお気に入りで聞いている。本当にかっこいい曲なのでぜひ聞いてほしい。。。特に日本語版の2:58以降がかっこよすぎて何度聞いても飽きない。。。

 

日本語版:

youtu.be

 

似て非なる隣国、韓国。

これから、K-popとK-dramaは日本でいう漫画のように、世界に向けた韓国の「ソフトパワー」(ジョゼフ・ナイ氏が作り出した言葉)になっていくのだろう。

(しかしすごく不思議なのが、日本語も韓国語も、もともとは中国語の影響が大きいのに、中国語は文法が英語型で、日本語と韓国語はそうではないということ。なぜなのだろう。。。とても不思議だ。)

Kpop好きの方のブログを読んでいると、なんというかみなさんおしゃれな方が多くて、かわいい方が多いような。。。「ザ・女の子」という人が多い気がする。。。

自分の推しアイドルについておそろいのものを買って幸せそうな記事とかをよんでいると、素直に「かわいいなぁ」と思う。

学校で好きな人とこっそりお揃いのペンを買ったり、洋服を買ったりしてうきうきしている女の子を見ているとかわいいなぁと微笑ましく思うのと、同じような感じだろうか。

そして、そんな記事を読んでいると、その推しのアイドルの人たちは世界の何千人、何万人もの人を一瞬で、しかも同時に幸せにしているのだなと思うと、本当に素敵なことだなと思う。

もちろん、大変なことも多いだろうが、一瞬でものすごい人数の人たちを幸せにさせることって、なかなかできることではないと思う。。。

特に韓国のアイドルは、Vliveというネット中継?のようなものをしていて、私もたまにみるのだが、リアルタイムで送れるコメントを読んでいると、「みんな幸せそうだなぁ、かわいいなぁ」と思うことが多い。

もちろん誹謗中傷なども多いと思うし、それに苦しめられることも多いと思う。Kpopは競争も激しく、スケジュールが殺人的で本当に大変な仕事だと思う。

でも、世界中の何千何万という人たちを一瞬で幸せにできるというのは、本当に素敵なことだと思う。

だって、1人を幸せにすることだって、大変なのだから。

面識もないし、会ったこともない(そして今後会うこともないだろう)けど、彼らにどうかたくさんの幸せが訪れて欲しい。きっと大変なことも多いけど、それに負けず、押しつぶされず、たくさんの幸せに包まれて欲しい。そう思わずにはいられない。

忙しい中でも日本語も英語も勉強を頑張り、ダンスも歌も日々レッスンを欠かさないって、真面目で頑張り屋でないと続かないよ。。。尊敬します。。。

3:人生で必要な力

仕事を始めると、効率よく無駄なく業務を遂行することを求められる。

そして、「時間」がいかに大切なものなのかも、わかるようになる。

(・・・学生の時にわかればよかったのだが、残念ながら私はそんな出来た学生ではなかった。。。)

私が一番好きな本はミヒャエルエンデの「モモ」である。

この「モモ」は児童文学というくくりだが、個人的に、これは大人の方が読むべき作品なのではないかと思う。

モモの中に「時間泥棒」が出てくる。人生とは、いかにこの時間泥棒に自分がならないように気をつけて生きていくか、この時間泥棒といかに戦うか、そして、どうやって自分で時間を生み出していくかを考えて行動していくことなのではないかと思う。

時間とは、その人の人生そのものなのだ。

そして、その人の時間をいただくということは、人生を割いてもらっているということなのだ。

そう考えると、システムというものは仕組みを自動化させていろんな人の人生の時間を無駄にしないように救う手段なのだと思う。

受験勉強の時は、いい大学に受かることが一番人生で大事だと思っていた。しかしながら、人生を生きていく上で本当に大切なことは、「時間を生み出すための知恵と知識を身につけること」そして、「みんなの時間(人生)を無駄にしない/生み出してあげるようにできる知識を身につけて行動すること」なのではないかと思う。

しんどい受験が終わって大学に入ったら、大学というゴールはスタートに変わり。大学卒業というゴールでテープを切ったと思ったら今度はそのゴールが社会人生活のスタートに変わり。

それまで「ゴール」だと思っていたものが、そこに到達した瞬間「スタート」に切り替わる、というのは、人生の常なのだろうか・・・。

どんなゴールとスタートに立っても時間泥棒になることだけは、避けたいものです。

そのためには、日々自己研鑽が必要なのだが、これが疲れる。。。人生って、難しい。